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「年末の黒門市場にて、ささやかなご馳走を。」
撮影:2016年12月31日、機種:SONY RX100A+
SS:1/100秒、絞り:f/4.9、ISO:500、焦点距離:37.1㎜、WB:曇り

ついに年末がやってきた。
明日には新しい年、2017年。

今年は特に、写真への思いを色々試行錯誤した年だった。
奈良への関心が強まった年でもあった。地元民なのに、何も知らなかったからだ。

写真は、年の瀬に一度日本橋の黒門市場に行ってみたくて、人混みをかき分けながら進んでいった先に、おでんを出しているお店があったので、サイドから望遠側で撮ってみた。

これは、人の温かみがいつどんな時でもありますように、あったかいもんでも食べてリキつけよう、明日(来年)につなげようという意味で撮ったものである。

湯気はその時間帯で一番出ている瞬間を狙った。
人の温かみを表しているつもりだ。


今回撮った写真に使った、このSONY RX100、部類としてはコンデジになる。
なぜ、今まで一眼レフで撮っていたのにこれで撮ったかというと、思いが薄れてしまう懸念を抱いたからだ。

一眼レフは当たり前のように高画質で豊かな表現をしてくれる。
レンズも豊富で多彩なテイストの写りがあるので、用途やシーンに応じて使い分けるというのがよくある。

一番安いキットレンズでも写りはよく、一眼レフというのは写真を撮るために特化した機材といえる。
でも、適当に撮ってもきれいな写りになるのでは、その時撮った写真への思いってのは後付けになってしまうことが多いと思う。

私達が普段スマフォやコンデジで撮ってる写真って、あとから見て機種のことなんか考えるだろうか。
その時どんな時代だったか、自分自身が小学生の時だったとか、こんな心境の時だったとか、当時の思いってのが大体出てくる。
これはこのレンズで撮ったからとか、このカメラで撮ったからいいだよ〜なんて、考えることがあるのか。

そりゃ、カメラのメカや性能に敏感な人、それを醍醐味にして写真を撮る人ならそれでもいいと思う。
その人の楽しみ方はそういうものだ。

でも、カメラは写真を撮る道具であって、写真はどのカメラで撮ったかというよりどんな思い・状況で撮ったかのほうが醍醐味が増すと思う。
これは、コンデジよりもスマフォで撮った写真に顕著に出る。


実はだいぶ前に奈良へ写真を撮りに出かけたときに、一眼レフを持ってるのにバッテリを入れ忘れたことがあった。
その時は仕方なく、いつも持っているiPhoneで撮ったが、iPhoneも写りはいいのでこれで撮れてなんら違和感はなかった。
画質面を突き詰めれば一眼レフには到底及ばないが、その瞬間をいろんな思いで撮ることに機材の種類など関係ないと思えた時だった。

それ以降、一眼レフで撮っても、思い出としてはなんだかしっくりこないような気が少ししていた。


そんな心境の変化が、一眼レフへの執着心を薄れさせていった。
そして、今はコンデジで撮影して、思いを大事にして撮っている。

一眼レフはきれいな写真が撮れる一方で、カメラに助けられていい写真になってるものもあると思うと、カメラはある程度いい写りをしてくれていれば、あとは撮影者本人の思いなのかなと思う年末であった。

来年は、行きたいところもいっぱいあるし、その写真を使ってやりたいこともたくさんある。
一眼レフだからきれいだろうという捕われを捨てて、新しい気持ちを込めた写真づくりを目指したい。


年が明けようとしている中、また写真に対して少し気持ちを込められるようになったかな。
2017年は、写真に時代背景や状況を感じられるような枠を撮っていきたい。
いや、これからもずっと。

2016年、さようなら。いいこと気づかせてくれて、ありがとう。