久々のブログ更新になるな。
最近はインスタに気が行ってそこで写真の熱が冷めてしまうので、中々ブログにアップするという気持ちがもてない。
でも、知り合いが好きにやればいいとアドバイスくれたので、自由気ままにまた綴っていこうと思う(笑)
最近は気温がホント高い。小学生の時は地元が35℃を超えることはなかったような気がする。
自分はまだ熱中症になったことはないが、この先上がり続ける高気温で頭がバカにならないように気をつけたい(;´∀`)
別の角度から見てみる。
冬の状態だともっと基礎部分が露呈しているんだが、今回は夏なので草が茂って少し見にくいかもしれない。
これを気づく人って、相当マニアなんだろうなと思った。(自分もマニアかw
北方向を見てみる。
この写真の左側に川底の橋脚基礎があるので、左側から斜め右に鉄道が通っていたと思われる。
その先に見える緑の生い茂ったところが大仏鉄道記念公園だ。
反対側を見てみる。
先に見えるのは油阪船橋商店街。
右側にある民家がちょうど廃線跡になる。
さぁやってきた。
大仏鉄道といえば、このはっきり残された大仏鉄道記念公園が有名だ。
この位置は、ちょうど大仏駅の南側辺りになるそうだ。
しかし暑い・・(;´Д`)=3
と書いてある。
なるほど、やはり木津経由の路線が出来たことで廃線となったか。
今回遺構巡りをする前に色々調べてみたが、改めて大仏鉄道の歴史を知ることが出来た。
ここから実際に廃線跡を辿りながら歩いていくわけだが、やっぱり昔の歴史をたどるのって楽しいな。
自分が知らない路地に入ることも出来るし、たまに虫が近くを通って一人ビックリ(゚∀゚)することもあるあし・・
大仏駅の跡は、この記念公園だけで遺構は一切残っていないようだ。
ちょうど左側のレンガの家から北北東に駅が伸びていたと思われる。
すでに民家に占領されて遺構は全く見当たらない。。(´・ω・`)
この交差点の上を写真の方向へ鉄路が伸びていた。
さっそく、勾配のきつい坂にあたることになる。
この道は途中で購買がきつくなるから、当時走っていた機関車も相当つらいものがあったと思う。
坂を上がっている途中で、地図上で確認した家屋の斜め切りが気になったので、その場所へ行ってみることに。
この細い路地の先にあるようだ。
この白い家の右側に見えるツタで覆われたレンガのあるところが、廃線跡になっている。
さらに坂を登ると、消防署の隣にある抜け道のここが廃線跡だ。
左にある車の民家の土地が斜めに切られているので、おそらくここが通っていた場所だろう。
この側溝の鉄網の中にレンガ造りの遺構があったらしいが、のぞいでも何もなかった。
この金網の向こうが消防署なのだが、左側に見える家の外壁が斜めに向いているので、この右側が廃線跡になっていると思われる。
坂をさらに登って、本来通る予定の抜け道を抜ける。
この辺りを鉄路が通っていたそうだ。
すでに民家に占領されているので、ここらへんも遺構は残っていない。
推測だが、この電信柱のある斜めになったコンクリートが廃線跡の目印なのかも。
地図上ではこの辺りは住宅の配置が昔何か通っていた跡がうかがえるような形になっているので、多分廃線跡で合っていると思う。
さっきの電信柱を遠くから見てみる。
手前から右斜に鉄路が入っていたのかなぁ・・
反対側を見ると、安らぎの道を北上した44号線に合流する。
ここから道なりの廃線跡が続く。
しっかしあっちいな~(;´Д`)==3
もう一度振り返る。ココらへんも遺構はない。
さて、しばらく北上すると懐かしの奈良ドリームランド前広場に出てくる。
その先にある橋がかかっているところが、遺構らしきものや面影はないがれっきとした廃線跡の目印になっている場所だ。
しばらく歩いていく。
しかし暑い(;´Д`)
ついに来た。ここが黒髪山トンネル跡。
橋のかかっているすぐ下に黒髪山トンネルがあった。
左右にあるコンクリートが、トンネルの左右の基礎になるのかな。
橋を見上げてみる。
トンネルがあったんだな~
このコンクリート壁がある手前から奥までの範囲が、トンネルがあった範囲みたい。
トンネルの面影や遺構はないけど、それらしき遺構の生まれ変わり的な左右のコンクリート壁に遺構巡り案内板があったので撮っておいた。
当時はこうなっていたのか~
トンネルを崩す前に橋が出来たようだ。
トンネルの跡について解説があった。
大仏鉄道の高低差が最高になる地点だそうで、すでに結構な勾配があった道を辿ってきたことを振り返ると、相当苦労する難所だったことがうかがえる。
しばらく歩いていると、佐保ゴルフセンターの前にある交差点に差し掛かったが、先をみるとすごい降り勾配だ。
写真では分かりにくいが、かなり長い坂道になっている。
このトンネルが最大の難所になっていると言われていたのは納得だ。
奈良方面へ行くのに、ここを超えなければ行けないわけだから。
長い下り坂。これを登れる機関車はいるのだろうか・・
昔は今みたいに粘着剤を撒いて登ることが出来ないから、多分滑りまくって登れなかったんじゃないのかな。
交差点を過ぎてから振り返ってみる。
坂を登りきった先に黒髪山トンネルがあったのか。
さらにならやま通りを左に交わる交差点を直進。
案内板が出てきた。なるほど、この先を行けば加茂なんだな。
さらにカーブして進んでいく。
またここで下りになる。
加茂からきた機関車は、またここで登らないといけないわけか(・・;)
結構また長い坂だな~
おや、左の先に見えるのは?
出た、国境食堂。一度行ってみたいな~ここ。
丼物がいい感じらしい。
こういうところに限らず、◯◯食堂とか、グリル◯◯、キッチン◯◯とかいう名前の食べ処ってだいたい当たりのお店なんだよな(^^)v
いつか行ってみたいね。
さて、またしばらく歩いていくと田園地が見える場所がある。
この下に鹿川隧道って遺構が残っている。
ちなみに隧道ってのは橋と違って、水路や人を下に通したりするもの。
この上、今立っているところが大仏鉄道が通っていた。
今回は前に降りたことがあるので降りない。
来た道を振り返る。
右のガードレールの下に隧道の遺構がある。
鹿川隧道を過ぎて、先はまだ下りが続く。
お店が見えていないが、右側にはローソンがある。
鹿川隧道のことが載っている遺構巡り案内板があった。
しっかし、あっついつい。。(;´Д`)===3
ここですでに、持っていた500mlのペットボトル飲料が半分を切ってしまった。
この先もつのかよ。。
まだしばらく先へ続く44号線道なり。
写真左側に見えている茶色いものは・・・もしや(゚∀゚)
まだまだ先へ進む44号線道なり。
左には青葉台ゴルフさん。
来た道をまた振り返る。
木漏れ日と緑のトンネル的な感じがいい。
さて、ついに京都府木津川市に入ろうというところだ。
出ました!ウンコ!(こらw
さっきの緑を抜けたらこれが左側に。
ウンコ!!(こらww
タツタタワー木津川市だって。
あ、大仏鉄道のこと書いてある。
やっぱりこの前を通っていたんだな。
ウンコの正体は、木津南配水池だった。
なんでこんな形になってるんだろうか・・
調べてみると、この建物は「給水塔」で、内部は上下2層(高区用と低区用)に分かれており、「関西文化学術研究都市 木津南地区」の水事情をささえる重要施設となっているそうな。
内部構造見てみたいな~(^q^)
この付近から、歩道が軌道を連想させるようなデザインになっているので、廃線跡を辿っている気分になっていい感じだ(*´∀`*)
配水池の隣にはタツタ電線がある。
最近建てられたのか、きれいだな。
梅美台西の近くまでやってきた。
街のスーパー、中村屋がある。ここらへんの人たちはここが命だな。
廃線跡がよく分かる歩道の舗装デザイン。
カーブしてるのがまたいいね。
ここもしばらくは下りが続いている。
梅美台西交差点。
廃線跡はさらに直進していく。
右を向いてみる。
左側にある丸い屋根の建物は、以前パン屋さんやスーパーKINSYO?が入っていた木津ソレイユという商業施設があったが、今は何も残っておらず建物だけ残っている状態。
昔、大学の実習課題でここをモデルにした建築課題があって下見に行ったことがあった。
懐かしいなぁ・・もうやってないんだな。いつ取り壊されるんだろうか。
どうせなら、公共施設にしたらいいのに。
交差点を過ぎてしばらく歩くと、左側に何やらモニュメントみたいなものが見えてくる。
出た!関西鉄道の社章だ。
大仏鉄道は愛称であり、会社は関西鉄道が走らせていたようだ。
お、大仏鉄道モニュメントについて何か書いてある。
なるほどね。こんな社章だったんだな。
そういやこの社章、京都にある京都鉄道博物館にも現物が保存されていたような気がする。
国鉄の前身だったかな、確か。
今回はさっきと同様、隧道は以前見ているのでスルー。
軌道をイメージした舗装デザインの歩道を進んでいく。
さて、進んでいくと梅美台交差点が見えてくる。
この辺りから右にカーブして廃線跡は続く。
梅美台交差点に差し掛かった。
道路は直角に曲がっているが、鉄路は向こうの道を緩やかなカーブを描いて曲がっていったと思われる。
渡った後の反対側の歩道。
左手前に向かって向こうからカーブを描いて左手前につづいていたのかな・・
角にはセブンイレブンがある。
何となく、敷地が右方向へ向いているのでこの辺りが廃線跡なのかな。
セブンイレブンの裏側に来てみた。
向こうから敷地が、以前何か通っていたような形状になってる気がするのは気のせいか(・・;)
この道路を横切るように廃線跡が続いていたのかな。
想像させられるな~
今考えたら、もっと左側写してもよかったかな~と思っているが・・
写真の左方向へカーブして軌道が続いていたと思われる。
セブンイレブンを出て先を進むと、向こう側にある住宅の敷地がどうも右手前方向に曲がってるような気がする。
やっぱり、廃線跡である名残が見られる。
さて、さらに進んでいく。
また長い下りだなぁ。
加茂から来た機関車は、またここで勾配を登り続けなければならないのか。
梅谷交差点についた。
ここからまだ直進するんだが、その先の道を見て驚愕。。なんだあの勾配は_| ̄|○ il||li
この道を上がっていっていたそう。
見上げて撮ってしまったので勾配が分かりにくいが、かなりの坂だ。
車では楽勝で登れるかも知れんが、これはかなりの急坂だな。
いや、鉄道にとっては相当な急坂だ。
ちょっと分かりにくいけど、結構な坂道。
しばらく歩いて振り返ってみると、坂道の向こうが見えないほど。
さらに進んでいく。
なぜかこういうところを歩くと、変な緊張感が漂う。霊感かなw
林道?を過ぎると、住宅地に出てくる。
もう少しで、結局引き返した場所にたどり着くことになる。
ここで持っていた500mlのペットボトルが空っぽに。。
まずい・・帰りの分がまったくない。
熱中症にならなければいいが(・・;)
さらに先を進んでいく。
左側に雑草が生い茂る場所が続いているが、もしかしてこの部分が廃線跡?んなわけないかw
例の生い茂った敷地の中から先を見てみる。
どうなんだろうなぁ・・やっぱり右の車道が廃線跡なのかな。
進んでいくと、左側に何やら丘が見えてくる。
ここが、最近整備された大仏鉄道公園(正式名称:城山台公園)らしい。
昔はこんなに道路も広くなかったし、荒野みたいな感じになっていたそうだ。
現時点ではGoogleマップの航空写真には前の荒野が残っていた。
そして右側、白い車が見えている辺りのすぐ右に廃線跡がある。
大仏鉄道公園に入ってみる。
こういうところ大好きなんだよな~(*´∀`*)
まだ新しい公園だから、多分季節感はあまりなさそうだけど、良い緑だな。
お、ついに見つけた。
事前に調べた時に見た公園の看板が、反対側の入り口、西側にあった。
ちら~っと見て回ったけど、大仏鉄道公園と名乗るくらいだから線路くらいとかモニュメント的なものがあってもいいのではと思った。
あ、やっぱり大仏鉄道遺構巡りの看板があった。
近くに遺構があるそうだ。
この看板を見てから初めて近くにあることが分かったので、知らずに引き返すところだった(;´∀`)
休憩所でホッと一息も二息も休むことに。
すでに500mlのペットボトルは空になって、涼むとすれば風に頼るしかなかった。。
半分来たし、もう帰ろうかと思ったところだ。
この時すでに15時を過ぎてしまっていたので、このまま加茂まで行くと帰りが大変になって干からびる可能性があるので、今回はここまでにすることに。
もう少し周りを見てから帰るとするか。
目線の先には廃線跡があるところが見えている。
道路に転用されているのだが、草木が邪魔して見えないが。。
あ!鉄路のモニュメント的なものが敷かれていた。
よくみると、広軌だ。今のJRは狭軌だから、安定していたんだな(なにこの感想w
この公園では鉄道らしいものが置いてあるのはおそらくここだけ。
大仏鉄道遺構巡り案内板と鉄路のモニュメントを。
公園の休憩所周辺。
向こうには公衆トイレがあった。
喉の渇きが我慢できないので、トイレの手洗い場の上水道をペットボトルに注入したのは内緒(*´艸`*)
周辺を見て回ることに。
この道路が奈良方面に向いた方向で、左側へ鉄路が伸びていたそうだ。
左側に側道があるので行ってみる。
振り返ると・・おぉ!これは!!
昔何か通ってた跡じゃない!?
新たに造られた道路が左側にあるが、もしかして迂回させているのかな・・
あとで調べてみたら、この右側が廃線跡で少し進んだ先に遺構が残っているんだが、都市開発で撤去か移設すると言われていたのが地元民の意見により残すことになって道路の建設は迂回させた形になったそうだ。
なぜここだけ左に振ってるのかが分かった。
この右側に降りるところがあったので降りてみたら・・
なんとありました!赤橋遺構である。
今回訪れた遺構の中で一番立派で原型を留めているものだ。
もうこんな誰もいない場所で一人テンション上がってしまった(*´∀`*)
遺構の案内板。
やはり代表的な遺構だと言われている。
幅2.4mしか通れないんだな。車一台分か。
上の桁のところ、石と木が敷いてあるのか。
橋の下をくぐると、なんかだだっ広い場所に出た。
ずっと向こうにはトンネルもある。
右側には遺構巡りの案内板があり、その上の緑の盛土が続いている場所が廃線跡だ。
今回一番きれいに立派に遺構が撮れた。
上をイギリス製の真紅の機関車の客車が走っていたのを想像すると・・嗚呼。
時代を感じさせるいい作りだな。
廃線跡の幅からして単線用だな。
だな、だな。←
橋の下から見上げてみる。
石と木が混じってるあたり、なんかね(*´ω`*)
上に上がって廃線跡を歩いてみる。
重量制限が4トンだって。もっとイケるんじゃないの?
ちょうどガードレールがかかっているすぐ下に石の橋の遺構がある。
さらに進むと、感嘆深いものがある廃線跡が続く。
今回はここらへんで引き返すので、行きたい気持ちを抑えて次回、完全制覇を狙い加茂まで行く予定。
さて、廃線跡のど真ん中で引き返すとするか。
奈良方面に向かって、再び来た道を歩いて行く。
前半、終了。
ーーーーーーーーー
ずっと行ってみたいと思っていた廃線跡・遺構巡りに行けてよかった。
最近ではこのツアーやハイキングをやっているそうだが、自分一人で動き回りたいのでそういうのは参加しないことにしている。
しかし、今回は予定10.6kmのところを約半分の実績5.5kmしか歩いていない。
それもそのはず、昼1時過ぎに家を出て行って3時半過ぎの時点で引き返したから、向こうの加茂まで行ってちょうどいい帰り時間に帰ってくるには間に合わなさ過ぎる。
18時には帰りたかったので、これでは行けない。
少なくとも朝10時には出発して行くべきだったな(;´∀`)
帰りは来た道をそのまま帰っていったわけだが、日照りはあまりないのに気温が33℃前後あったようだから、早く帰りたいと止まらず歩き続けると、家についてから涼しい部屋でレモン砂糖水を飲んで深呼吸していても全然楽にならず一種の酸欠状態になった。
これもしかして熱中症の症状じゃないのか(・・;)
あと、ずっとiPhoneで撮っているけど、デジタルズームが嫌いな自分にとってはずっと「単焦点」の状態で撮っているので、いざというときに画角が決められない欠点がある。
やっぱり改めて光学ズーム搭載のカメラは必要かなぁ・・
色々と反省点はあるが、久々のガチウォーキングになったと思う。
ちなみに前から怪我していたつま先は、今回の歩きで特に問題もなく、足裏が痛むこともなかった。
あとは身体をより軽くして加茂まで行って全制覇を狙う。
それではまた次回、後半編の大仏鉄道遺構巡りに。(^^)/
最近はインスタに気が行ってそこで写真の熱が冷めてしまうので、中々ブログにアップするという気持ちがもてない。
でも、知り合いが好きにやればいいとアドバイスくれたので、自由気ままにまた綴っていこうと思う(笑)
最近は気温がホント高い。小学生の時は地元が35℃を超えることはなかったような気がする。
自分はまだ熱中症になったことはないが、この先上がり続ける高気温で頭がバカにならないように気をつけたい(;´∀`)
…ところだが、一昨日熱中症になりかけた(^^;;
その話は後で。。
一昨日の16日、ずっと前から行きたいと思っていた大仏鉄道遺構巡りを決行することにした。
大仏鉄道ってのは、奈良と京都の加茂を結んでいたわずか9年しか続かなかった幻の鉄道と言われた鉄道のこと。
明治時代、今の加茂から奈良へ結ぶ大仏鉄道ができると、大仏駅から東へ1.数キロ歩いて大仏殿を見に行く観光客で賑わい、その後も奈良駅への乗り入れが進むと奈良への観光がメインになっていった。
ところがこの大仏鉄道、鉄路にいくつもの勾配があり、重たい機関車では難所続きで効率が悪かった。
そこへ今の加茂~木津間への平坦な鉄路が出来るとは客が激減し、開業からわずか9年でその歴史に幕を閉じた。
今回はその幻と言われた大仏鉄道の廃線跡と遺構を巡っていこうと思う。
地図で調べると、片道10kmのかなり起伏の激しいルートであることが分かる。
徒歩の設定で見てみると、95m上がって123m下がるの!?
とりあえず、歩いてみることにした。
500mlのペットボトルを持って(^^;;
多分足りなくなるかも。。
多分足りなくなるかも。。
いつだったか、ずっと昔は水に埋まっていたような気がするが、ある時突然この基礎部分が露呈するようになった。
もしかしたら、最近大仏鉄道遺構巡りハイキングみたいなイベントやっているから、それで誰かが基礎部分周りを掃除して見えるようにしたのかもしれない。
別の角度から見てみる。
冬の状態だともっと基礎部分が露呈しているんだが、今回は夏なので草が茂って少し見にくいかもしれない。
これを気づく人って、相当マニアなんだろうなと思った。(自分もマニアかw
北方向を見てみる。
この写真の左側に川底の橋脚基礎があるので、左側から斜め右に鉄道が通っていたと思われる。
その先に見える緑の生い茂ったところが大仏鉄道記念公園だ。
反対側を見てみる。
先に見えるのは油阪船橋商店街。
右側にある民家がちょうど廃線跡になる。
さぁやってきた。
大仏鉄道といえば、このはっきり残された大仏鉄道記念公園が有名だ。
この位置は、ちょうど大仏駅の南側辺りになるそうだ。
しかし暑い・・(;´Д`)=3
関西鉄道大仏駅について関西鉄道は明治二十八年に草津・名古屋間を全通した。それから柘植から大阪方面への進出を計り、二年後の三十年十一月に加茂まで開通しまた。ここから梅谷を経て黒髪山トンネルを下り、明治三十一年四月、奈良市法蓮の大仏駅を設置した。この鉄道は、市民・観光客にも親しまれ、大仏詣での人達もこの駅で下車し一条通りを通って東大寺に参拝していた。奈良駅へはその年の十二月に到達したが、乗り入れが実現したのは翌三十二年五月であった。その後、路線が木津経由に変更となり、明治四十年八月までの約九年間で廃止された。平成四年四月 奈良市
と書いてある。
なるほど、やはり木津経由の路線が出来たことで廃線となったか。
今回遺構巡りをする前に色々調べてみたが、改めて大仏鉄道の歴史を知ることが出来た。
ここから実際に廃線跡を辿りながら歩いていくわけだが、やっぱり昔の歴史をたどるのって楽しいな。
自分が知らない路地に入ることも出来るし、たまに虫が近くを通って一人ビックリ(゚∀゚)することもあるあし・・
大仏駅の跡は、この記念公園だけで遺構は一切残っていないようだ。
ちょうど左側のレンガの家から北北東に駅が伸びていたと思われる。
すでに民家に占領されて遺構は全く見当たらない。。(´・ω・`)
この交差点の上を写真の方向へ鉄路が伸びていた。
さっそく、勾配のきつい坂にあたることになる。
この道は途中で購買がきつくなるから、当時走っていた機関車も相当つらいものがあったと思う。
坂を上がっている途中で、地図上で確認した家屋の斜め切りが気になったので、その場所へ行ってみることに。
この細い路地の先にあるようだ。
この白い家の右側に見えるツタで覆われたレンガのあるところが、廃線跡になっている。
さらに坂を登ると、消防署の隣にある抜け道のここが廃線跡だ。
左にある車の民家の土地が斜めに切られているので、おそらくここが通っていた場所だろう。
この側溝の鉄網の中にレンガ造りの遺構があったらしいが、のぞいでも何もなかった。
この金網の向こうが消防署なのだが、左側に見える家の外壁が斜めに向いているので、この右側が廃線跡になっていると思われる。
坂をさらに登って、本来通る予定の抜け道を抜ける。
この辺りを鉄路が通っていたそうだ。
すでに民家に占領されているので、ここらへんも遺構は残っていない。
推測だが、この電信柱のある斜めになったコンクリートが廃線跡の目印なのかも。
地図上ではこの辺りは住宅の配置が昔何か通っていた跡がうかがえるような形になっているので、多分廃線跡で合っていると思う。
さっきの電信柱を遠くから見てみる。
手前から右斜に鉄路が入っていたのかなぁ・・
反対側を見ると、安らぎの道を北上した44号線に合流する。
ここから道なりの廃線跡が続く。
しっかしあっちいな~(;´Д`)==3
もう一度振り返る。ココらへんも遺構はない。
さて、しばらく北上すると懐かしの奈良ドリームランド前広場に出てくる。
その先にある橋がかかっているところが、遺構らしきものや面影はないがれっきとした廃線跡の目印になっている場所だ。
しばらく歩いていく。
しかし暑い(;´Д`)
ついに来た。ここが黒髪山トンネル跡。
橋のかかっているすぐ下に黒髪山トンネルがあった。
左右にあるコンクリートが、トンネルの左右の基礎になるのかな。
橋を見上げてみる。
トンネルがあったんだな~
このコンクリート壁がある手前から奥までの範囲が、トンネルがあった範囲みたい。
トンネルの面影や遺構はないけど、それらしき遺構の生まれ変わり的な左右のコンクリート壁に遺構巡り案内板があったので撮っておいた。
当時はこうなっていたのか~
トンネルを崩す前に橋が出来たようだ。
トンネルの跡について解説があった。
大仏鉄道の高低差が最高になる地点だそうで、すでに結構な勾配があった道を辿ってきたことを振り返ると、相当苦労する難所だったことがうかがえる。
しばらく歩いていると、佐保ゴルフセンターの前にある交差点に差し掛かったが、先をみるとすごい降り勾配だ。
写真では分かりにくいが、かなり長い坂道になっている。
このトンネルが最大の難所になっていると言われていたのは納得だ。
奈良方面へ行くのに、ここを超えなければ行けないわけだから。
長い下り坂。これを登れる機関車はいるのだろうか・・
昔は今みたいに粘着剤を撒いて登ることが出来ないから、多分滑りまくって登れなかったんじゃないのかな。
交差点を過ぎてから振り返ってみる。
坂を登りきった先に黒髪山トンネルがあったのか。
さらにならやま通りを左に交わる交差点を直進。
案内板が出てきた。なるほど、この先を行けば加茂なんだな。
さらにカーブして進んでいく。
またここで下りになる。
加茂からきた機関車は、またここで登らないといけないわけか(・・;)
結構また長い坂だな~
おや、左の先に見えるのは?
出た、国境食堂。一度行ってみたいな~ここ。
丼物がいい感じらしい。
こういうところに限らず、◯◯食堂とか、グリル◯◯、キッチン◯◯とかいう名前の食べ処ってだいたい当たりのお店なんだよな(^^)v
いつか行ってみたいね。
さて、またしばらく歩いていくと田園地が見える場所がある。
この下に鹿川隧道って遺構が残っている。
ちなみに隧道ってのは橋と違って、水路や人を下に通したりするもの。
この上、今立っているところが大仏鉄道が通っていた。
今回は前に降りたことがあるので降りない。
来た道を振り返る。
右のガードレールの下に隧道の遺構がある。
鹿川隧道を過ぎて、先はまだ下りが続く。
お店が見えていないが、右側にはローソンがある。
鹿川隧道のことが載っている遺構巡り案内板があった。
しっかし、あっついつい。。(;´Д`)===3
ここですでに、持っていた500mlのペットボトル飲料が半分を切ってしまった。
この先もつのかよ。。
まだしばらく先へ続く44号線道なり。
写真左側に見えている茶色いものは・・・もしや(゚∀゚)
まだまだ先へ進む44号線道なり。
左には青葉台ゴルフさん。
来た道をまた振り返る。
木漏れ日と緑のトンネル的な感じがいい。
さて、ついに京都府木津川市に入ろうというところだ。
出ました!ウンコ!(こらw
さっきの緑を抜けたらこれが左側に。
ウンコ!!(こらww
タツタタワー木津川市だって。
あ、大仏鉄道のこと書いてある。
やっぱりこの前を通っていたんだな。
ウンコの正体は、木津南配水池だった。
なんでこんな形になってるんだろうか・・
調べてみると、この建物は「給水塔」で、内部は上下2層(高区用と低区用)に分かれており、「関西文化学術研究都市 木津南地区」の水事情をささえる重要施設となっているそうな。
内部構造見てみたいな~(^q^)
この付近から、歩道が軌道を連想させるようなデザインになっているので、廃線跡を辿っている気分になっていい感じだ(*´∀`*)
配水池の隣にはタツタ電線がある。
最近建てられたのか、きれいだな。
梅美台西の近くまでやってきた。
街のスーパー、中村屋がある。ここらへんの人たちはここが命だな。
廃線跡がよく分かる歩道の舗装デザイン。
カーブしてるのがまたいいね。
ここもしばらくは下りが続いている。
梅美台西交差点。
廃線跡はさらに直進していく。
右を向いてみる。
左側にある丸い屋根の建物は、以前パン屋さんやスーパーKINSYO?が入っていた木津ソレイユという商業施設があったが、今は何も残っておらず建物だけ残っている状態。
昔、大学の実習課題でここをモデルにした建築課題があって下見に行ったことがあった。
懐かしいなぁ・・もうやってないんだな。いつ取り壊されるんだろうか。
どうせなら、公共施設にしたらいいのに。
交差点を過ぎてしばらく歩くと、左側に何やらモニュメントみたいなものが見えてくる。
出た!関西鉄道の社章だ。
大仏鉄道は愛称であり、会社は関西鉄道が走らせていたようだ。
お、大仏鉄道モニュメントについて何か書いてある。
寄贈大仏鉄道研究会 会長 難波久士平成27年10月このモニュメントは、明治時代に大仏鉄道を運営していた鉄道会社「関西鉄道」の社章をモチーフに制作されました。大仏鉄道とは、明治時代に、加茂と奈良を結んでいた9.9kmの路線の愛称です。路線の跡には、隧道(ずいどう=川の水や人を通すためのトンネル)や橋台(橋の上部構造の両端を支える基礎)などの遺構が所々に残され、100年以上も前の姿を今も見ることができます。大仏鉄道の遺構のひとつ、松谷川隧道は、このさきの階段を下り、右に約50m進んだところにあります。
なるほどね。こんな社章だったんだな。
そういやこの社章、京都にある京都鉄道博物館にも現物が保存されていたような気がする。
国鉄の前身だったかな、確か。
今回はさっきと同様、隧道は以前見ているのでスルー。
軌道をイメージした舗装デザインの歩道を進んでいく。
さて、進んでいくと梅美台交差点が見えてくる。
この辺りから右にカーブして廃線跡は続く。
梅美台交差点に差し掛かった。
道路は直角に曲がっているが、鉄路は向こうの道を緩やかなカーブを描いて曲がっていったと思われる。
渡った後の反対側の歩道。
左手前に向かって向こうからカーブを描いて左手前につづいていたのかな・・
角にはセブンイレブンがある。
何となく、敷地が右方向へ向いているのでこの辺りが廃線跡なのかな。
セブンイレブンの裏側に来てみた。
向こうから敷地が、以前何か通っていたような形状になってる気がするのは気のせいか(・・;)
この道路を横切るように廃線跡が続いていたのかな。
想像させられるな~
今考えたら、もっと左側写してもよかったかな~と思っているが・・
写真の左方向へカーブして軌道が続いていたと思われる。
セブンイレブンを出て先を進むと、向こう側にある住宅の敷地がどうも右手前方向に曲がってるような気がする。
やっぱり、廃線跡である名残が見られる。
さて、さらに進んでいく。
また長い下りだなぁ。
加茂から来た機関車は、またここで勾配を登り続けなければならないのか。
梅谷交差点についた。
ここからまだ直進するんだが、その先の道を見て驚愕。。なんだあの勾配は_| ̄|○ il||li
この道を上がっていっていたそう。
見上げて撮ってしまったので勾配が分かりにくいが、かなりの坂だ。
車では楽勝で登れるかも知れんが、これはかなりの急坂だな。
いや、鉄道にとっては相当な急坂だ。
ちょっと分かりにくいけど、結構な坂道。
しばらく歩いて振り返ってみると、坂道の向こうが見えないほど。
さらに進んでいく。
なぜかこういうところを歩くと、変な緊張感が漂う。霊感かなw
林道?を過ぎると、住宅地に出てくる。
もう少しで、結局引き返した場所にたどり着くことになる。
ここで持っていた500mlのペットボトルが空っぽに。。
まずい・・帰りの分がまったくない。
熱中症にならなければいいが(・・;)
さらに先を進んでいく。
左側に雑草が生い茂る場所が続いているが、もしかしてこの部分が廃線跡?んなわけないかw
例の生い茂った敷地の中から先を見てみる。
どうなんだろうなぁ・・やっぱり右の車道が廃線跡なのかな。
進んでいくと、左側に何やら丘が見えてくる。
ここが、最近整備された大仏鉄道公園(正式名称:城山台公園)らしい。
昔はこんなに道路も広くなかったし、荒野みたいな感じになっていたそうだ。
現時点ではGoogleマップの航空写真には前の荒野が残っていた。
そして右側、白い車が見えている辺りのすぐ右に廃線跡がある。
大仏鉄道公園に入ってみる。
こういうところ大好きなんだよな~(*´∀`*)
まだ新しい公園だから、多分季節感はあまりなさそうだけど、良い緑だな。
お、ついに見つけた。
事前に調べた時に見た公園の看板が、反対側の入り口、西側にあった。
ちら~っと見て回ったけど、大仏鉄道公園と名乗るくらいだから線路くらいとかモニュメント的なものがあってもいいのではと思った。
あ、やっぱり大仏鉄道遺構巡りの看板があった。
近くに遺構があるそうだ。
この看板を見てから初めて近くにあることが分かったので、知らずに引き返すところだった(;´∀`)
休憩所でホッと一息も二息も休むことに。
すでに500mlのペットボトルは空になって、涼むとすれば風に頼るしかなかった。。
半分来たし、もう帰ろうかと思ったところだ。
この時すでに15時を過ぎてしまっていたので、このまま加茂まで行くと帰りが大変になって干からびる可能性があるので、今回はここまでにすることに。
もう少し周りを見てから帰るとするか。
目線の先には廃線跡があるところが見えている。
道路に転用されているのだが、草木が邪魔して見えないが。。
あ!鉄路のモニュメント的なものが敷かれていた。
よくみると、広軌だ。今のJRは狭軌だから、安定していたんだな(なにこの感想w
この公園では鉄道らしいものが置いてあるのはおそらくここだけ。
大仏鉄道遺構巡り案内板と鉄路のモニュメントを。
公園の休憩所周辺。
向こうには公衆トイレがあった。
喉の渇きが我慢できないので、トイレの手洗い場の上水道をペットボトルに注入したのは内緒(*´艸`*)
周辺を見て回ることに。
この道路が奈良方面に向いた方向で、左側へ鉄路が伸びていたそうだ。
左側に側道があるので行ってみる。
振り返ると・・おぉ!これは!!
昔何か通ってた跡じゃない!?
新たに造られた道路が左側にあるが、もしかして迂回させているのかな・・
あとで調べてみたら、この右側が廃線跡で少し進んだ先に遺構が残っているんだが、都市開発で撤去か移設すると言われていたのが地元民の意見により残すことになって道路の建設は迂回させた形になったそうだ。
なぜここだけ左に振ってるのかが分かった。
この右側に降りるところがあったので降りてみたら・・
なんとありました!赤橋遺構である。
今回訪れた遺構の中で一番立派で原型を留めているものだ。
もうこんな誰もいない場所で一人テンション上がってしまった(*´∀`*)
遺構の案内板。
やはり代表的な遺構だと言われている。
幅2.4mしか通れないんだな。車一台分か。
上の桁のところ、石と木が敷いてあるのか。
橋の下をくぐると、なんかだだっ広い場所に出た。
ずっと向こうにはトンネルもある。
右側には遺構巡りの案内板があり、その上の緑の盛土が続いている場所が廃線跡だ。
今回一番きれいに立派に遺構が撮れた。
上をイギリス製の真紅の機関車の客車が走っていたのを想像すると・・嗚呼。
時代を感じさせるいい作りだな。
廃線跡の幅からして単線用だな。
だな、だな。←
橋の下から見上げてみる。
石と木が混じってるあたり、なんかね(*´ω`*)
上に上がって廃線跡を歩いてみる。
重量制限が4トンだって。もっとイケるんじゃないの?
ちょうどガードレールがかかっているすぐ下に石の橋の遺構がある。
さらに進むと、感嘆深いものがある廃線跡が続く。
今回はここらへんで引き返すので、行きたい気持ちを抑えて次回、完全制覇を狙い加茂まで行く予定。
さて、廃線跡のど真ん中で引き返すとするか。
奈良方面に向かって、再び来た道を歩いて行く。
前半、終了。
ーーーーーーーーー
ずっと行ってみたいと思っていた廃線跡・遺構巡りに行けてよかった。
最近ではこのツアーやハイキングをやっているそうだが、自分一人で動き回りたいのでそういうのは参加しないことにしている。
しかし、今回は予定10.6kmのところを約半分の実績5.5kmしか歩いていない。
それもそのはず、昼1時過ぎに家を出て行って3時半過ぎの時点で引き返したから、向こうの加茂まで行ってちょうどいい帰り時間に帰ってくるには間に合わなさ過ぎる。
18時には帰りたかったので、これでは行けない。
少なくとも朝10時には出発して行くべきだったな(;´∀`)
帰りは来た道をそのまま帰っていったわけだが、日照りはあまりないのに気温が33℃前後あったようだから、早く帰りたいと止まらず歩き続けると、家についてから涼しい部屋でレモン砂糖水を飲んで深呼吸していても全然楽にならず一種の酸欠状態になった。
これもしかして熱中症の症状じゃないのか(・・;)
あと、ずっとiPhoneで撮っているけど、デジタルズームが嫌いな自分にとってはずっと「単焦点」の状態で撮っているので、いざというときに画角が決められない欠点がある。
やっぱり改めて光学ズーム搭載のカメラは必要かなぁ・・
色々と反省点はあるが、久々のガチウォーキングになったと思う。
ちなみに前から怪我していたつま先は、今回の歩きで特に問題もなく、足裏が痛むこともなかった。
あとは身体をより軽くして加茂まで行って全制覇を狙う。
それではまた次回、後半編の大仏鉄道遺構巡りに。(^^)/
コメント